富岡製糸場は官営工場として明治5年(1872年)日本の近代国家・産業革命の礎石といて、明治新政府が総力を結集して創設した。
 わが国最初の工場制機械工場施設であり、現在においては、歴史的建造物である。
 創設以来、蚕糸工業の模範工場として指導者養成と殖産興業など、日本の近代産業の象徴として発展してきた。昭和62年(1987年)3月、114年間の生糸生産の操業にピリオドを打ったが、その歴史に果たした役割は極めて偉大であり、建造物もまた貴重な文化遺産で、現在もなおその輝きを失っていない。

 鎖国により欧米に比較して国際社会で著しく遅れをとった日本が、その遅れを取り戻す政策として明治新政府が国家の資本と威信をかけて建設した工場であること。
 軽工業における日本の産業革命を起こし、近代産業の基礎を 育て、輸出を増大させて経済発展を遂げる文字通り殖産興業の原動力となったこと。
 官営模範工場は和洋折衷建築方式を採用した「木骨煉瓦造り」であること、また工場経営もヨーロッパの制度を基調としており、その後の日本社会全体に工女等を通して物質的・制度的・精神的に大きな影響をもたらしたこと。
 (1)官営・三井・原・片倉工業と生糸生産一筋に114年間継続されたこと。
 (2)工場がスクラップアンドビルド対象にならなかったこと。
 (3)片倉工業等の努力で工場群が明治5年(1872年)の創設より、今      もなお美しさ・堅牢さを保持していること。
 (4)現代の産業活動にも十分に対応するだけの規模と規格の先見性のある建物であること。

  

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NPO法人「富岡製糸場を愛する会」